1970-03-28 第63回国会 参議院 予算委員会 第10号
その次、カムチャッカ方面で六、千島列島付近で二、それが四十四年では沿海州が十六、韃靼海湾海域で十七、カムチャッカ半島付近で十一回、千島列島付近で十七回、択捉付近で六回、樺太海域で二回、四十五年になりまして、これは今日までのわずか三カ月の間ですが、沿海州付近で十五回、韃靼海湾海域で六回、カムチャッカ半島付近で五回、千島列島付近で四回、択捉海域付近で二回、今回のような日本の本土に近いところ及び土佐沖等でやった
その次、カムチャッカ方面で六、千島列島付近で二、それが四十四年では沿海州が十六、韃靼海湾海域で十七、カムチャッカ半島付近で十一回、千島列島付近で十七回、択捉付近で六回、樺太海域で二回、四十五年になりまして、これは今日までのわずか三カ月の間ですが、沿海州付近で十五回、韃靼海湾海域で六回、カムチャッカ半島付近で五回、千島列島付近で四回、択捉海域付近で二回、今回のような日本の本土に近いところ及び土佐沖等でやった
それから、ソ連が歯舞、色丹、国後、択捉の返還に非常に固持する形跡をとっていることの一つの理由に、当該地域におけるところの大きな軍事基地の設備というのが行なわれているという問題が報道されておりますけれども、この千島あるいは樺太、カムチャッカ方面におけるところのソ連の軍備状況、あるいは漁業根拠地の状況等についてどのような認識を持っておられるか、御返事を賜わりたい。
その後事態はいろいろ推移がございましたが、いろいろな漁業界の条件からであろうと存じますが、樺太及びカムチャッカ方面の出漁というものは非常にその後減ってきたとわれわれは了解しております。そこで、最近に至りましては、一応この安全操業のわが国の主張は、歯舞、色丹、国後、択捉という点に重点を置いてソ連と折衝してまいりました。
昨年の暮れ向こうへ行きましたときにも、その資源の問題で両方今年のきめるやつがまだ延びているのでございますが、そのときにカムチャッカ方面の資料が集まっておらぬ、こういうことでございます。しかし、そういうことで会談が長引くということはまことに遺憾でございます。ルールといたしますならば、科学的な資源調査を共同でまとめておって、そうしてその上に立って会談を続けるということが私は適当であると思います。
そうすると、向こう側からは、実はまだ統計がまとまっていないんだ、カムチャッカ方面などの統計が集計できないんだ。それだから、いますぐというわけにはいかないけれども、昨年の十二月中ならモスクワで、一月中なら日本で、そこでひとつ交渉をしようじゃないか、こういう取りきめをして帰ったのでございます。
それからもう一点、今大臣がおっしゃいますように、一番日本の漁業に関係のあるオホーツク海、カムチャッカ方面まで調査が完了していないということは、私はこれはしろうとでございますけれども、一番そこを早くしていただきたいように思うのですが、共同調査が行なわれているかどうか、その進捗状態いかがですかということを伺いたいと思います。
しかしこれらは、ほとんどことごとく日本付近の大地震から起こっておるものでありまして、まれにカムチャッカ方面、アリューシャン方面の大地震のおりにも、日本に相当の津波が参ったことはありますが、それほど被害を起こすということはございませんでした。なお太平洋のかなたの中米、南米には相当地震がございますが、それらの地震によって日本が被害を受けるような津波を受けたことは、今までにはございませんでした。
ことに最近におきましては、漁船でありますけれども、カムチャッカ方面あるいはまた遠くアッツ島方面の水域に出動いたしておりまして、非常に北洋の海難が急激に増加いたしております。また同時に南太平洋における漁船の遭難も相当ございまして、実はこういったような大型の巡視船をどうしても整備して参りたいというふうに考えまして、相当大量な予算を要求したわけでございます。
ただ、カムチャッカ方面の調査等をすることが、この前の日ソ交渉の条項にありますので、私の方でカムチャッカ方面の調査に出たいという申し入れをしたのでありますが、向うで、樺太及びサガレン方面ならばいい、こういうことで、カムチャッカに調査に行くことを拒否するといいますか、応諾いたしませんので、それならばこちらから調査員を調査に出す必要はないということで、調査には出しておらないようであります。
○政府委員(岡井正男君) たしか、漁業暫定協定を受けて、帰りに河野大臣がアメリカへ寄って話をしたという点は、むしろそういうことではなく、日本の北洋への出漁計画船が西カムチャッカ方面とオホーツク方面と、いわゆる日米加条約の関係地区とのふり合いの船数が、画定協定に基きまして、オホーツク方面の母船の若干を日米加協定の区域に近い方へ回す、今まで日本がかつて行政措置で許していなかったところをプラスして、新しいいわゆる
○秋山俊一郎君 そうすれば、資料をお願いしたいのは、戦前から日本はあの方面で相当に漁業をやっておりましたが、いわゆる公海における漁業、日本がやっておった漁業ですね、漁業による漁獲局、それから日本がカムチャッカ方面でロシアの漁場を借りてやっておった。
現にこれについてはカナダの漁業大臣が、昨年の夏、カムチャッカ方面にそれぞれ専門家を連れて視察に参られましたことも事実でございます。そういう実情でございますから、政治とは離れて、こういう産業の問題、漁業の問題等については十分基本的に、化学的にお互いに研究するということについては、双方協力できる態勢にあると私は思うのでございます。
私は目下日ソ交渉が始まっておるのだから、現在の必要を満たすために、千島やカムチャッカ方面に応急的避難港などを設けてもらいたい。先先の抽象的なものじゃなく、現実のものを何とかして進めていけないものかということを聞いておるのです。